起承転結がきれいすぎた2022

 2022年の4月から社会人になりました。人生の夏休みであった大学生活を終えて社会の荒波に裸一貫で突っ込んでいった瞬間でした。当時は希望しかなかったと思います。中学生のころからしたかった独り暮らし、金欠生活からの解放、「学生」から「社会人」というステージへの昇華。すべてが楽しみで仕方がありませんでした。そんな期待に胸いっぱいの甘ちゃん社会人一年生が選んだ勤務地は仙台でした。特に深い意味があって仙台を選んだわけではありません。なんなら意味もなく選びすぎたとさえ思っています。実家の神奈川へすぐ帰れるところかつ一人暮らしができる勤務地が仙台しかなかったからです。そんな感じでテキトーに勤務地を選んで不動産屋さんの言われるがままに家を決めてなんとなーく引っ越しが完了しました。4月からセンターには出社するものの、会議室で研修を受けるだけの毎日で本格的に仕事が始まったのは5月末からでした。このときから僕は壊れていったのだと思います。

「あれ?これ続けていってなにか成長できることあるのかな?」

こう思ったのは本格的に仕事を始めて2週間くらい経った後だったと思います。もちろん、電話越しでの話し方、社会人として社内ではどのようにコミュニケーションを取らなければいけないのか等、社会人として必要最低限の常識は学べたと思います。しかし、一生電話をして事故解決の手助けをして、契約者からアンケートを回収することの繰り返しをすることで5年後10年後どうなっているんだろうと考えてしまったのです。たどり着いた答えは「何も身につかない」でした。これを同期や両親に話したことがあります。返ってきた回答は「君は真面目だな、そんなこと考えず今の仕事をやっていれば高給取りになれるのだからいいじゃないか」や「電話だってしっかりしたスキルじゃないか、何を望んでいるんだね」などでした。絶望したしました。けれども、僕もそこまで熱い人間じゃないのでそういうものなんだな、確かに高給取りにはなれるしいいかと割り切って、自分の気持ちを酒と忙しさで殺して仕事を行うことにしました。これが11月まで続きました。

涙が止まらない休日の朝7時

いくら酒で現実から逃げたところで気持ちは消えないものでした。どんどん湧き上がってくるのです。湧き水に例えることがおおいけれどそんなきれいなものではありません。やはり最初の思ってしまった気持ちを無視することはできず、このままでいいのかとふと考えてしまうのです。加えて、仕事内容もこれだけは自分に合わないものであり、センター内の人間関係もどんなに美化しても良いといえるような関係ではなかったため嫌な気持ちしかない状態で仕事をしていました。そして7月初旬の日曜日、朝起きたら急に涙が止まらなくなったのです。なぜかはわかりません。でも止まらないのです。プーさんのぬいぐるみを抱きしめて、声とも言えない音をのどから出しながら枕を濡らし続けました。今改めて書いているとあの時は本当につらかったなと思い出します。そんな時大学時代の友人が同じ状況になり会社を休職したと聞きました。何度もその友人とは連絡を取っており、僕の状況も知っていたため同じように病院に通ってみることを勧められました。

さすがに無理かもしれん...

12月になり師走の忙しさでセンター内もピリピリしてきていました。このころになると新卒扱いもほぼ終わっています。なんならセンター内から僕への対応はもうすぐ1年経つんだからそろそろやばいよというような態度でした。一方僕はというと日に日にやる気と集中力を減らしていったうえにこれだけは自分に性格に合わない仕事であると心の奥底、深淵、マリアナ海溝よりも深ーーーーく思っていたので仕事ができるようになるはずもなく、できるようになりたいとも考えていませんでした。そんなある日本当に急にもう無理と思うようになりました。そこでようやく騙されたと思って病院に行ってみることにしたのです。この時は休職したいという想いとなんだかんだ何もなかったと診断されるのではないかという想いのみでした。診断結果はうつ病でした。先生にうつ病と言われたとき号泣してしまった理由はわかりません。けれどここでも涙が止まりませんでした。そこからの展開は早かったです。その二日後には診断書をもらい、会社に提出して休職することとなり、今に至ります。

漆黒から純白へ

こんな感じで僕の仙台生活はお先真っ暗状態、目の前はただの漆黒の闇しかありませんでした。そんな生活も現在は白に変わってきています。理由は主に二つかなと思います。一つは休職をすることで今後の自分の人生で何をやりたいのかを明確にできたためです。いまは僕はITエンジニアにあるために勉強をしています。昔から興味はあったけど手を出していなかったITを仕事にするため知識の面から勉強をしています。もう一つの大きな理由は大切な人ができたからです。頼れる人もいない、相談する相手もいない状況であった仙台生活の中で一生大切にしたいと思う素敵な女性に出会えたのです。出会った方法はかくかくしかじかでありますが、、、。彼女のおかげで仙台の生活自体が楽しいと思えています。

まだ仕事は辞めれていないため僕の人生は純白とは言えません。強いて言うなら灰色かな。けれど仕事をやめ新しいITエンジニアとしての生活を始め、彼女との生活を新しく始めることで純白になると思います。ながなが書いたけれどはじめは最悪の仙台新卒生活は現在ではまだ黒い部分もあるものの確実にいい方向に向かっている自信がある状況です。